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2011/11/21 / phonda

ベルカ、吠えないのか?

小説、映画、などなど、物語性のあるものに対してよく言われる、「人間を描けている(いない)」という慣用句と、その威圧的な力は何なのか。

自分でも普通に使っていたし、おそらく、学校教育で身につけたままの観点だと思われる。しかし、この印籠のような言葉が、べつにどうでもいいものであることを、年々、身をもって理解してきた。

自分で、ブログでも何でもかまわないと思うが、何かを書いてみれば案外すぐに気づくことだけど、文章を書くときに、いつもいつも人間を書こうとはしない。むしろ、僕は書きたくなどない。

いやいやいやいや、でも、ブログは文学ではないでしょう? と反論するならば、「文学とは何であるか」についての回答を併せ持っているべきだろう。それが公平さというものだ。

僕は文学が何であるか分からない。たぶん、日本だと、なんとなくの雰囲気のことだ。ほこり臭さとか、泥臭さとか。

手っ取り早く、文豪の名前がついた「賞」をもらっているもの、ということにしておけば良さそうだ。

そして、文学賞の審査基準によく使われているのが、「人間を描けている(いない)」であり、小説を書こうとする人も何の疑いもなくそれを描こうとし、読む人もそれを重視して読む。

懸賞金をかけて、「百人一首かるた」の小説版で遊んでいるのですか、なんて皮肉も言いたくなってくる。

総合芸術と言われる映画ですら、「人間が描けている(いない)」で評価されるに至っては、閉口するしかない。

犬しか出てこない映画とか、どうすんだよ。

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