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2011/11/01 / phonda

「麻衣の涙の阿弥陀如来」

悔いのない人生を送るとはどんなことだろうと考える日々だ。

それは何をもって「悔い」とするかの自問になるわけだが、それもすぐに、悔いのない人生を送ることがそんなにいい事なのだろうか、に変わる。

病気である。

これは考えているというよりもただのスパイラルなので、ほどほどのところで断ち切り、ケーススタディに移ろうではないか。

いつも行くツタヤの女子店員、Yさんがかわいい。1日8時間ずっと見ていろと言われても、飽きずに見ていられるぐらいフワーッとしている。猫のようだ。なんなら、僕が時給を払って雇ってもいい。

この感情に対し、悔いを残さないためにはどうするべきか。

平成のスナフキンと呼ばれるこの僕である。Yさんを自分のものにしたいとか、安い恋愛はいらない。本人に「かわいいですね」と伝えられれば、それでゴールである。

相手が猫ならば少し離れた場所に腰をおろし、舌でも鳴らせばいいが、ツタヤで人間に向かってそれはまずい。

べつに告白じゃないんだから、単刀直入に言ってみるという考えもあるが、赤の他人にいきなり「かわいいですね」と言われたら気持ちが悪いだろう。

それ以前に、言った瞬間、重度の緊張で僕が死ぬ。それでは死んでも死にきれないというか、ひとつ悔いが消えて、もっと大きな悔いが生じてしまっている。

人に何かを伝えたいと思うことは、どこまで行っても悔いを生むのではないだろうか。

スパイラルをさけてもさけてもスパイラルだ。

炒飯でも作ろう。

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