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2011/10/23 / phonda

「1000のバイオリン」

6年ぶりの友人とメールのやりとりがあり、電話でも話したのだが、まるで話がかみ合わない。

それどころか、罵り合いにまで発展してしまい、僕は久しぶりに自分の言葉を、相手を攻撃するために全力で使った。そりゃあもう酷いもんだ。僕もボロボロになったが、彼女のほうもきっとそうだろう。

実際に会って顔を見て話せば違うかといえば、それはおそらく同じことで、変わらないだろうと思う。お互いの、持っている言葉がズレていた。

まず、共通の友人の訃報について、彼女は「それはそれでよかったんじゃないか」とか「言い方は悪いが、自分は少しスッキリした」ということを言い、僕がその発言を制止したことで険悪なムードになった。

彼女はその友人と付き合っていたことがあるから、愛憎もあるのだろうが、僕は「それは絶対に何があっても違う」と否定し、彼女は僕のその「絶対に」が昔から気に食わないのだと主張する。

まるで学生のケンカだ。バカらしくもあったが、バカでもいいから攻撃をしかけたのだ。

お互い虚しくなり、最近なにか映画とか観たかという話に変えたら、やはりというべきか、忙しくて映画も小説もとくに触れていないということだった。

いくら映画や小説に触れたところで、ステータス値が上がるようなものではない。しかし、それによって言葉が補填され、作品名が「熟語」として積み上がるのだから、6年という歳月を埋めるには、まずは言葉を圧縮しなくてはならない。

元気にしているかと心配して連絡をとってくれた友人に対し、僕はこんなふうに接することしかできない、面倒くさい人間である。

そして、「せめて『魔法少女まどか☆マギカ』くらいは観ろ」と、偉そうに、典型的なオタクのような発言を残し、友人も「はいはい」と呆れたような返事であった。

自分は「光より、ニュートリノより、俺のほうが速い」という厨二精神で生きているのだから、仕方あるまい。

なによりも、ただただ年をとっていくよりはマシだ。

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