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2011/10/12 / phonda

ハイレゾクイーン

そういえば、と気づいたことなのだが。

僕は映画をブルーレイで観ると、どうしても違和感がある。アニメやTVゲームならば、高画質であることにテンションも上がるのだが、映画はむしろテンションが下がっているような気がする。

作品そのものが面白ければ画質は関係ないのでは、といった類の話ではない。

この違和感の正体をひとりで悶々と探っていて、「高画質」というものに、一定の方向性しかないことが気持ち悪さになっているのではないかと目星をつけた。

つまり、何でもかんでも鮮明にクッキリとした輪郭である「高画質」の方向性に、面白みを感じないというのが、僕の前提である。

アニメやTVゲームの画面は、「描かれる」ものだから、見せる部分と、見せない部分は最初から判断されて最適化されている。

一方で映画は、すでにある物体を視覚情報として、カメラの性能の限界まで「取り込む」のであり、それは誰が何を見ている世界なのか、ということが高画質になるほど、逆に分かりにくくなっている気がするのだ。

またしても言葉遊びのようになるが、「画質」を、「高」や「低」で計ることがナンセンスなのではないか。それはなんというか、「感情」を「高感情」と言ってしまうような感じ。

これは、記録媒体である以上、永遠につきまとうテーマなのかもしれないが、立場はハッキリさせておきたかった。

「記録」は「記憶」を情報量と正確さで上回るが、「記憶」にはなり得ない。そんなところだろうか。センチメンタルすぎるかしらん? うるせー!

言えば言うほど、宮崎駿のようになっていく。受け手としてもあのもどかしさは感じるのだ。ブルーレイになった『風の谷のナウシカ』のオーディオコメンタリーで、庵野監督が「よせばいいのに」と言っていたのも印象的である。

だらだらと長く書いてしまったが、そういえば、文章には「文質」という言葉がなくて・・・・・・いや、このブラックホールは見なかったことにしよう。

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