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2011/06/23 / phonda

国境の長いトンネルを抜けると安藤サクラの顔であった

日本映画がまた少しずつ良くなってきた印象を受けるのであります。

洋画「3」に対して、邦画「7」ぐらいの比重を置いて観ているのですが、昨今の日本映画の「てめナメてんのか」感はひどいものだったです。

つってもね、僕の住んでいるところなんて、マクドナルドのでっかい袋とかアクエリアスの500ml缶が道端にポンポン捨てられているような洗練とかけ離れた町で、その町のTSUTAYAで借りられる範囲での話ですけど。

映画館、シネコンしかないっすよ。おしゃれ雑貨みたいなミニシアター系、舌打ちっすよ。

でも、一部をのぞけば、日本じゅうだいたいそんな環境のはず。草ボーボーだし、自転車も錆びている。

僕はなんで日本映画を観るかって言ったら、日本のフィクションを通して世界を参照したいからです。

だから、洋画に対しては、小学生のときに洗礼を受けたスピルバーグとジョージ・ルーカスを今でも求めているけれど、日本映画にそれは求めておらぬです。

日本人の「借景」の感性や、土着的な風土を何の考えもなく排除して作るから、ゴミみたいな日本映画が量産されて、だったら『キック・アス』とか観るよって言われてしまう。

女優、安藤サクラの顔を見てみなさい。あの存在感。そして、あの演技を。

僕らが見て見ぬふりをしてきたものを具象化したような容姿に、神々しさすら感じるのであります。

『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』では、「ブス!」「うざい!」「ワキガ!」と罵られ、捨てられ、男たちが外の世界へ逃避しても、彼女だけは何度でもよろよろ立ち上がり、地面を歩いて行くのです。

彼女が出ている映画だけを観ても、日本映画の良い兆しを感じられると思うですよ。

追記:『愛のむきだし』と『俺たちに明日はないッス』ええぞー。

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