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2011/03/13 / phonda

プレイステーション

人間の「祈り」について。

3月11日、大きな地震があったすぐそのあと。僕はいつも通り会社にいた。

津波に飲まれていく町をUstreamの映像で見ながら、Twitterのタイムラインを追い、すぐに分かったのは、緊急に僕ができることは何もないということだった。

Twitterで流れてきたいくつかのリツイートを、自分でもリツイートするのが精一杯。

正直なところ、情報としての有用性、信頼性というものは、僕には判断がつかなかった。

ただ、無意識に反応できたのは、そこに込められた「祈り」のような気持ち。それだけを頼りに自分も祈るような気持ちでリツイートした。

本当にもう僕には何も言葉が出てこなかった。

震災による被害は、すぐには収まらないだろう。家族や知人を亡くした人もいる。そういう人たちは、これから10年、20年と、抱えていくものがある。

緊急にできることはないが、その10年、20年に対してならば、僕にもできることがある。そう信じる。

Twitterでは、世界各国の人たちから「#PrayforJapan」として、たくさんの「祈り」が届けられている。

蛇足だが、政府の対応に批判の声を上げている人もいたので、僕からの質問。

あなたのその言葉には何が込められていますか。

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