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2010/11/04 / phonda

フルメタルじかけの愛情

規制、とりわけ、表現に関する規制について。

この「表現の規制」というものを、僕は基本的に下衆なものだと思っている。遠慮なく言わせてもらうと、それを声高に呼びかける人たちは頭がおかしいと思う。そしてなぜか、漫画、アニメ、ゲームの周辺ばかりに粘着して語られるそれは、単なる嫌悪としてしか受け取ることができない。

規制をする大儀は何なのか。「子供や青少年を守る」という大儀であればこそ規制することが最善だとは思えない。むしろ、大人のなかに大量の「考えない人」が増え続けるだけのように思えて、そちらのほうが恐るべき事態である。

小さな子供のいる家庭では、包丁やハサミなど、危ないものは子供の手に届かない場所に置くであろうが、それでは足らず、切れないようにしろと訴えるのがつまり「表現の規制」にあたるのではないだろうか。

よく切れる包丁にモザイクがかかって「包丁」という言葉にもピーという音が入る通信販売のテレビ番組が放送される日が来てしまうかもしれない。そのくらいバカげている考えだと僕は常々思っている。

どのような方法で審査が行われているのか知らないが、「規制」というよりも「自粛」に近いのが現状なのかもしれない。まさか機械的にチェックリストにチェックを入れていく方法でないことを願う。

先日、『ノーモア★ヒーローズ 2』(Wii)と『刀語』(アニメ)という、表面的に似た2つのものに、偶然にも同時期に触れた。

どちらも血が噴き出し、生首が飛ぶなどして人が殺されるうえ、お色気の要素も入ったエンターテイメント作品である。

前者は「推奨年齢」、後者は「放送時間」によって、注釈的な規制がされているように見えるが、よほどの誤読がないかぎり、むしろ子供達に触れさせていい作品なのではないかと、僕は思ったのだ。

いつまでも『はだしのゲン』や『火垂るの墓』、ジブリ映画しかないなんて、レパートリーが少なすぎて悲しい。今の日本で作られている作品を知らずして、古典ばかり崇拝しているのは、洗脳や管理社会のようである。

現在行われているような規制や審査は、偏見じみた大人の勝手な談合でしかなく、子供達と一緒に考えることを放棄しているだけなのではないか。

それに、あれもダメ、これもダメ。野暮なことばかり指摘して、褒めることを知らない大人たちが、子供を守り、育てていくことができると僕は思わない。

過剰で安易な規制を求める大人は、子供たちを信じてあげることのできない、最も規制されるべき審査対象となっている自分にまず気づくべきなのである。

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