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2010/06/26 / phonda

「情熱の薔薇」

『ピクトイメージDS』というゲームがとても面白くて感銘を受けた。

中古ソフトで500円〜1,000円くらい。僕はこのゲームで体験できることが、すごく大切なことだと思った。

何をするゲームかというと、老若男女、さまざまな人が描いた絵を見て、何の絵かを当てる。ただそれだけ。ただし、1枚の完成した絵がポンと出されるのではなくて、絵を描く「過程」を見て答える。

まず、これから絵を描く人の、ペンネームと年齢と肩書きが表示される。それから画面のなかでペンが動いて、線が描かれていく。絵の上手い人、下手な人、様々だ。ゆっくりと震える線を描いていた4歳の子が、あわてて線を消す様子などは、見ていて本当にかわいい。40代のおじさんの絵だって下手くそでどうしようもないのに僕の心を動かす。

けれど、実際そこにあるのは単なる線だ。人間がいるわけではない。うがった見方をすれば、じつはそれっぽく作られただけのデータかもしれない。

「これは耳か?ここは足?じゃあ、これが3本ずつで、ヒゲで……前から見た猫!!!」

入力フォームに「ね」「こ」と入力すると、ブザー音と「×」の表示。僕は考える。考える。小さな子供が描いた絵だ。左右対称だ。猫でないとすれば何だ。3本ずつの線がヒゲでないとすると何だ。しばらく考える。描いた人の気持ちになって考える。余計な知識は捨てる。

「か」「に」

ピンポーン!と鳴り「○」が表示される。正解だ。

嬉しい。僕は何を舞い上がっているのだ。何に舞い上がっているのだ。さっきも言った。これは作られただけのデータかもしれない。

線のむこうの人間を想像した。線のむこうの人間の気持ちを想像した。問題に正解することが、そこに存在する人間をたしかなものにして、そして僕はその人とつながった。

これは作られただけのデータかもしれない。

中学生のときにラジオではじめて聴いた、ザ・ブルーハーツのこと。僕はあのとき生まれてはじめてこの世界が、本当にここにある世界なんだと思えたこと。それがとても嬉しかったこと。

僕にとって、それは作られたデータなどではなかった。

そんなことを500円かそこらで売られていたゲームで思い出した。安上がりなサラリーマンだなこのやろー!

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