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2009/11/15 / phonda

脱落ゲーム

人が赦せないほどの罪を、人が裁くことはできるのだろうか。

人の命を奪うことが何よりの大きな罪であることに、異論がある人はあまりいないだろうと思う。異論がある場合、この話はここで終わる。でも少しだけおつきあい頂きたい。

この社会は「罪」を犯した人間に、なんのために「罰」を与えているのか。

先日、殺人容疑の青年が逮捕された。顔を整形をしていたとか、逮捕後は食事をしようとしないとか、どうでもいい情報が報道によってさらされている。不謹慎などという次元の話ではなく、これはもう絶望的に人間がダメになっている。

彼は「死刑」になるだろうか。何十年かの懲役を経て、社会に戻されるだろうか。

僕はどちらにもならないと思う。彼は「抹殺」されるだけだ。今までこの社会が延々と行ってきたとおり、彼の存在は抹殺されるだけで、事件は消費されるのだ。

当事者は永遠に苦しみ続けることだろう。

大学教授であったか、学部長であったか、彼を教えたことのある人が、彼に宛てて書いたメッセージを読んだ人はあるだろうか。

彼との思い出や、事件のこと、今すぐにでも警察に出頭してほしいという嘆願が、とても正直な気持ちで書かれていた。「君はやり直せる」という祈るような言葉、そして、校舎や学内の風景、手入れのされた花壇の写真がそえられたその文章の最後は、このように締められていた。

「君ともう一度だけ話をしたい」

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