マサル会議2.0
自分のなかにある、雑念レベルの感情をどう扱っていくか。
世にあふれる膨大な情報との付き合い方よりも、今、僕はそっちのほうが大事なことのように思える。
ニュースを見ても、議論的にどっちでもいい話だらけで、興味がない。本当にどっちでもいいと思うことばかりだ。どっちも正解で不正解。論点よりも、発言者の肥大したコンプレックスが気になる。
会社でもらった義理チョコのハーシーズが、うんこみたいなニオイをしていた。「あっ! うんこだ!」と瞬間的に思いながら、今すぐ食べてくださいみたいな流れだったから、食べた。うんこを。で、やっぱりうんこのニオイしかしなくて、でも相手に気を使うから当然そうは言わないけど、心は「うんこ」が支配しているわけで。専制君主制。そういう気持ちってどこに行ってしまうんだい、という。昔、アダルトビデオを見ながら食事をしたらどんな気持ちになるんだろうと思って、やったことがあるんだけど、そういうこと本当にみんなやらないんですかね。改行とかしないで急に別の話を挿入しましたが。
宮沢章夫さんの本で、なんだったか忘れたけど、葬式のときに寸法を測らなければならないことになって、悲しみとはまったく関係のない別種の、寸法を測っているときの気持ちがあるみたいなことを書いていて、そういうことを最近また考えてしまう。
間引いたり、均整をとることによって逃げて行ってしまう、本当の自分の欲望ってあると思うのだが、それを僕が言ったときに「え? 私はそういうのぜんぜんないけど」とか言った女性のことを思い出して、めっちゃ腹が立ってきた。あのブスめ。
ねえわけねえだろ!! 脳が抗菌加工でもされてんのか!!
ていうか、このブログ、いつ止めようかしら・・・・・・。まあ、しばらくこんな感じでやります。
